支援のページ

支援者の皆さんから励ましのメッセージ

高槻市・正田トシ子さん(72)

 戦後63年経っても、戦災による被害は消えていません。私たちは国にこの戦争による被害の救済を求め、決して戦争が繰り返されることのないように、これを機に全ての戦争被害を受けた人々の声を集めて国に迫ってゆけるように願っています。

堺市北区・小松清生さん (60)

 消えることのない心と体の傷をしょって生きて来られた原告のみなさん、おひとりおひとりの強さ、平和へのおもいを実感する集会でした。
 堺空襲を記録し、受け継ぐ取り組みを続けています。
 2009 年7 月11 日には「炎の街から」ミュージカルを上演予定。8 月には、5回目となる堺平和のための戦争展にとりくみます。これらのとりくみの中で、大阪空襲訴訟支援の輪を広げていきたいと思います。(安野さんのパネル、また展示させて下さい。原告団のみなさまにも、ぜひお話いただく機会をつくりたく思います。相談させて下さい)

和歌山県串本町・杉本百生さん

 提訴が成就される様お祈りします。今のところ私のみとなりますが、進行状況などお願いします。集会傍聴には参加したく思います。

大阪市港区T.Tさん(78)

 大阪大空襲訴訟を支える会に初めて参加させていただきました。以前から戦災者と戦争犠牲者と称する人達との大きなギャップを感じていました。
 小生は当時中3で、神戸の造船所で学徒動員中でしたが、その3日後、神戸市も大空襲で、父の店も倉庫も全てが灰燼と化しました。その時の悲しさや残念さを両親といっしょに感じたものです。この訴訟は日本の地方各都市も糾合を目指してください。
 先日、空幕長たる者の戦争論や、戦後生まれの国会議員達の憲法改正論を聞けば、ますます日本の将来は不安です。日本が誇れる唯一のものは平和憲法だけです。大空襲訴訟はその為にも意義があります。
 日本人が作ろうが、アメリカの押しつけであろうが、大切なのはその憲法の内容だと思います。お願いがあります。

  1. 現在の援護法で支給される金額、期間、受取人の継承方法等、詳しく調査して公表して欲しいです。
  2. 戦災で大被害を受けた人が税金を支払い、被援護者という人達が受領する矛盾は、戦争受忍論を大きく逸脱するものだと思います。
  3. 大阪市でも、70歳以上の人が約40万人と聞きます。健全なうちに代表者を立てて、議会運動も考えるべきかもしれません。遺族年金をバックに、一票を得る議員に対抗すべきです。

 支える会の皆様の御健闘を心よりお祈りいたします。

大嶋 晴市さん  堺市中区

 三月四日の訴訟の当日、出席できず息子が代わりに出席、様子を報告するよう
申しておきましたが、大盛会で入場できず会費(3000円)のみ納付だけしたとの返事あり申し訳ありませんでした。
尚、大盛会でありし事の報告をうけ、お喜び申上げます。
 朝日の、「私の視点」を読み五日の安野様の記事を読み、国にだまされて過ぎし八十年の数々を思い出し、くやし涙しております、一人ぼっちで老人施設で暮らす我々に青春はなく働けた身が幸せだったのか、残念な人生でした。
 安野様、頑張って下さい、陰ながら応援申し上げます。

中田 進さん(71) 京都市

 国会でまともに審議せず、国はまったくひどい! こんなに長い間・・・もうこれ以上待てない! 司法は歴史に残る判決を!    

鍋嶌 孝之介さん 城東区

 あの空襲の夜から戦後欠乏の時代、今、孫があの時の歳に。この子らに二度とはないようにご奮闘を。

深井 英一さん 千葉市

 募金を送金します。同じ美浜区の小宮さんご夫妻に大変お世話になっています。お姉さま(安野輝子さん)のことお聞きしています。戦争、国の責任を訴えてください。再び戦争をしない国、日本国憲法を守るため私たちの町にも、9条の会を結成しました。

齋藤 さん   羽曳野市

 今時の若者は過去の戦禍の自覚も薄く、寒心に耐えません。挫けることなく御健闘をを念じ奉ります。誠に僅少ながら空襲損害賠償訴訟の運動資金にお使いください。 

小倉 孝雄さん 堺市西区

 原告安野さんの意見陳述には感動し、涙しました。若い弁護士さんが両親の年代にあった空襲被害を堂々と語るところには、この世代としてうれしく、また励まされました。勝利が手に出来るよう支援を頑張ります。憲法9条の会の活動にもはずみがつきます。

北村 嘉子さん 東大阪市

 昭和20年6月7日の空襲で家と母親を亡くし、残った私も80歳を超える歳になり、支える会に出席するのも無理なように思います。心ばかりですが、頑張って下さい。

 

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悦びの日へ

浅井 千代子 

二〇〇八年十二月八日
冬には珍しくおだやかな陽ざし
ここ大阪地方裁判所前
ひらひらと落葉が舞う街路樹の下
心一つに結び合った
大阪空襲訴訟原告・支える会
の一団が動き出した

堂々と
粛々と
まるで大海に漕ぎ出す力強い船

六十七年前
国が起こした戦争で
幾多の障害を負い
戦後苦難の人生を余儀なくさせられ
今は老齢の不自由をかこちながらの
空襲被災者・遺族
その原告の人たちを先頭に
手弁当で弁護を引き受けて下さった
弁護団が
小さな背を庇うように続く
そして何かと骨身惜しまぬ
支える会の一団
それぞれが
それぞれに
熱いものを胸に秘め
一歩また一歩
——— 足大丈夫?
——— ゆっくり行きや
——— 気イつけや
原告を思いやって
労りの声がかかる

それを追って
報道陣のカメラの列
前に横にシャッターの音がはじける
忙しく動きまわる記者たち
戦争を知らない若者だ
戦後半世紀以上
今もまだ戦争は終わっていない人達がいる
この現実をしっかり
カメラで捕えて欲しい

これまで
絶望と挫折に打ちひしがれ
長い孤独を闘い抜いた
一女性の執念が
決意から提訴へ
よくぞここまでの思いが
誰もの胸中をよぎる

先途は厳しい
船出はまだ始まったばかり
思いやりのかけらもない
国を相手に
ゆれる不安を抱いて
今ようやくスタートラインに立った原告

凪の日 嵐の日
もう後戻りはない
更なる苦難を乗り越え
やがて辿りついた港に
平和と
人間の尊厳を取り戻した
悦びの日がありますように

浅井千代子 堺市西区在住。

「異郷」「銀河詩手帖」同人として、詩作に励みながら、人形劇や連句の活動をしている。「大阪空襲訴訟を支える会」では事務局の会計を担当。敗戦の年は14 歳で戦争体験の世代である。











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勇気なびかせ

すぎむら こうき

今から60年以上も前 私が6歳になった時
空から降ってきた悪魔の爆弾に 足は ちぎり取られた

とてもとても痛かったけど もっと苦しんでいる人がいた
輸血してもらえず ふと聞こえてきた「今夜もてばいいだろう」

いつかはトカゲのしっぼみたいに 生えてくると信じていた
いつまで経っても 私の足は 生えてこなかった

「どうして戦争に反対しなかったの」と
何も知らない 私はただ母を責めた
疎開先で学校に行った いつも私の背中に
冷たい視線が突き刺さり 学校には行かなくなった

卒業して大人になっても 働く場所がなかった
「生きていくためには手に職をつけなさい」
 母のすすめで洋裁を習った

義足を隠して就職した とにかく必死で生きてきた
差別や偏見がつきまとい 私は 外に出なくなった

「戦争さえなければ、
こんな辛い目にあうこともなかったのに…」
そう思うことで 支えてきた

イラクに自衛隊が派遣された 母のことばを思い出した
「気がつけば戦争は始まっていた」二度と繰り返してはならない

自分の人生振り返った時 このまま伝えずにいたら
苦しみも何もなかったことになる だから黙ってはいられない

軍人ではない私たちには なんの謝罪も補償もない
同じように傷ついてきだのに 「我慢しろ」というだけなのか

国がすすめた戦争に この町で起こつたことに
力結んで 責任を問い続けたい
一人の子どもが言った
「憎しみしか生まない戦争は、ぽくの世代で終止符を打たないと…」

たたかいは 今 はじまった‥・

楽譜

歌が聴けます  楽譜データ







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