大阪空襲訴訟とは

大阪空襲訴訟とは

 太平洋戦争末期、日本本土はアメリカ軍のB29爆撃機や艦載機による度重なる空襲を受け、多くの町が壊滅状態になりました。とりわけ大阪への空襲は約50回以上に及び、約1万千人の命が奪われ、家を失うなどした被災者は120万人を超えました。
 それから2008年の今年で63年を経て。空襲によって障害を背負わされ、肉親を奪われた被災者・遺族は手を取り合い、戦争を引き起こした日本政府に対して「後始末をきちんとせよ」と謝罪と賠償を求めて大阪地裁に訴訟を起こすことになりました。空襲被災者・遺族による集団訴訟は、2007年3月に提訴した東京大空襲訴訟に続き全国2例目です。
 戦後、サンフランシスコ講和条約を結び、米国への補償請求権を「放棄」した日本政府は民間人の空襲被害は「受忍」(我慢)すべきだとして、一切の援護策をとらず、放置してきました。旧軍人、軍属とその遺族に厚い援護をしているのとは対照的です。老いた被災者・遺族が残りの人生をかけて裁判に踏切るのは、人間としての尊厳を取り戻し、再び戦争をおこさせないための闘いでもあります。 


訴訟に至る経過

大阪空襲訴訟に至る主な経過

 

05 年1 月
06 年3 月
06 年8 月

07 年3 月

07 年5 月
07 年7 月
07 年8 月
07 年9 月

08 年2 月
08 年3 月

08 年4 月
08 年5 月
08 年6 月
08 年6 月

08 年7 月
08 年9 月
08 年11月
08 年11月
08 年12月

「戦災傷害者の会」の活動始まる 学校などで空襲体験を証言
東京大空襲犠牲者遺族集会に参加する
国会議員に立ち会ってもらい内閣府(山田大臣官房総務課調査役)に陳情に行く
天王寺駅前で国に賠償と謝罪を求める街頭署名活動実施(10名参加)
梅田で国に賠償と謝罪を求める街頭署名を展開(12名参加)
署名を厚生労働省に届けるため上京
署名が内閣府にまわされるが、一時紛失状態に
署名が見つかるが、受け取りを拒否され、返却される

訴訟について法律事務所に相談に
集団訴訟を視野に、被災者・遺族の思いを聞く「空襲100 番」を実施
東京大空襲訴訟の原告団、弁護団を招いて勉強会
東京訴訟弁護団に参加している大阪の弁護士を招いて勉強会
青年法律家協会大阪支部にメールを送る
引き受けてくれる弁護士探しが難航する中、高木弁護士が受任の返事
高木弁護士、篠原弁護士と面談。12 月8 日の提訴を決める
原告の募集を開始。ささえる会(準)の会員募集も始まる
支える会の事務局体制が整う
原告団、支える会発足へ
大阪地方裁判所へ提訴(予定)